お気楽なFIRE生活

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「やればできる」という言葉が嫌いな理由

高校の数学で対偶というのがある。「pならばq」が真ならば「qでないならばpでない」も真である。

やればできるは「p(やる)ならばq(できる)」であり、その対偶は「q(できない)ならばp(やっていない)」となる。

例えば受験で「q(合格できなかった)のはp(勉強しなかった)からだ」と言われたらすごくムカつくし、実際どんなに一生懸命勉強しても競争倍率がある以上合格しないことは多々ある。

だから「q(できない)ならばp(やっていない)」は偽であり、その対偶の「やればできる」も偽であるからアドバイスとして絶対に使わないようにしている。

では真は何かというと「p(やっていない)ならばq(できない)」である。これは多くの人が納得できることだと思う。

だからその対偶の「p(できた)ならばq(やった)」も真である。

だから例えば私が受験生にアドバイスをするとしたら「勉強を一生懸命したとしても、問題の相性や当日の体調などが原因で合格できないことはよくあることである。ただし、合格した人は一生懸命勉強した人であるのは間違いない。だから今はとにかく一生懸命勉強しなさい。」と言うであろう。